救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

なんとなくわかったような気になって「登校拒否」とその子を呼べり

没個性を殺して新宿でしあわせを探したけど見つからなかった。ただ、馴れないハイヒールを履いたせいで足が痛くなっただけだった。今日がなんの日か知ってる?んー多分誰かの誕生日!うん、そうだね。震災等の悲しい事件、あれはもう事件だ。事件が起きた翌年でも誰かにとっては特別な日だったり、待ちわびてた日だったりする。繰り返される毎日の一日に過ぎないのだから不謹慎なんてどうか呼ばないで欲しい。ところでなんで今こんなことブログに綴ってるのだろう。おそらく、いや絶対に今私は"何かをしていないと満たされず落ち着かない症候群"にかかっている。何をしても満たされないのだ。通知表や貯金通帳の残高、異性で満たされるような人間になりたかったとは口癖の様に言っている。昨日、用事があって渋谷へ足を運んだ、1時間前について暇だったので洋服見ていたら気持ちを満たそうとしたのか洋服を何着か買ってしまっていた。なのにも関わらず、可愛いワンピースを買う時も満足感は得られなかった。「その科学が成功を決める」という本にも書いてある通り、一時的に買い物をすると幸福度は上がるが、ほんの一瞬程度で後は同じらしい。よって幸福度はお金では買えない。まぁそんな事は分かっていたけれど、本にも書いてあったって伝えたほうがエビデンスとしていいかなと思いまして。「お金=幸福を得る通過点、不幸にならないもの。」としか認知してないので執着心が無いんですよね。珍しいですかね。ところで、昨日はお会計の時ですら幸福感というか"満足度"が無かった。誰かを見て安心もしないし嫉妬もしない、だけど理想見たいなのがこびり付いて離れない。満足をくれるものをいつも探し求めてる気がする。最高になりたい。最高になりたい。最高じゃないのなら、後は全部同じだよ。