救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

幸福が有限の資源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産みだした

 ここで笑っちゃうの私たちだけだよねっていう関係性を築き上げたかった。移り変わる形容詞なんてクソ食らえだと思う。ここ最近は殴り書きもしなくなって、Blogを更新しようにも2行書いてはDeleteキーを押してしまう。そう、もうひとつの私生活での変化といえば、不本意に行動している事を忘れさせてくれる忙しい日々の方が楽になってしまったよ。今までちゃらんぽらんしているのが至上主義だと思っていた私にとってはこれは大事件なんだ。SMSで3円で送られてくるスマホの明かりで心を弄られてしまうくらいなら、冷蔵庫の中にある近所の自販機で買った130円のコカ・コーラには一体どれほど人知を超えたものが秘められているのだろう。もっと楽しく生きたいもっと楽しい人を呼びたい"もっと"を求め探すより今あるものにしがみつき現状維持するのに必死である。けれども、それでも良いかなぁなんて思えてくるのは、諦めなのか頑固さが緩和されたということなのか、良し悪し考えるのすら億劫になってきてしまった。昔はそういう終わりのない討論が大好きだったはずなのに。私はこれからも好き勝手想像しては消していく。はやくEnterキーを躊躇なく押せる人間にならせてよ