救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

通学路にセンチメンタルを感じる程大人にはなれてない

 宗教を作りたいとかインターネットにお墓を建てるプロダクトを作りたいとかよく言ってた気がする。話を掘り下げ、具体的に宗教を作って何がしたいか”救済”と答えるのだけど、果たして可能なのか、嘘っぱちだ。もしもの話それが途中まで成功したとしてもだ、信仰者が何かを悟り虚無を感じてしまったら私には救済処置は出来ないと思う。責任が取れない。いくら知識がついて崇められる対象になったとしても、うわべだけをてらうだけだろう。誰かを救済したいは結局字面が良いだけだったのかもしれない。そう、きっといつかの未来も私は自分のことも救えないし、あなたのことも救済出来ない。最後に白い部屋で、これを噛みしめる日が来る事を思うととても哀れだ。

 

全く関係ないこと1つ目

Slackにログイン出来ないからってラインは流石に邪魔だろうけどこういうの考えたんだよっていうアイディアを貼るといつもきちんと返してくれる、きちんというのは、良いねとか面白いねとかその場しのぎの褒め言葉とはまた違って、しっかりキャッチボールしてくれる。それは個人情報の取り扱いがうんたらとかそういうものだけど、殆どの人が流す話を拾ってくれる。うれしい。お誕生日おめでとうございます。

 

全く関係ないこと2つ目

「住めば都=(どんな場所でも住めば都のように便利に心地よく感じる)」よく知られることわざがあるけど、本文に「都」とついてる矛盾…こんな風に現代文って読み解くんだっけなとExcelの枠固定が何故か出来ない事をググりながら頭によぎってはなれない