救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

通学路にセンチメンタルを感じる程大人にはなれてない

 宗教を作りたいとかインターネットにお墓を建てるプロダクトを作りたいとかよく言ってた気がする。話を掘り下げ、具体的に宗教を作って何がしたいか”救済”と答えるのだけど、果たして可能なのか、嘘っぱちだ。もしもの話それが途中まで成功したとしてもだ、信仰者が何かを悟り虚無を感じてしまったら私には救済処置は出来ないと思う。責任が取れない。いくら知識がついて崇められる対象になったとしても、うわべだけをてらうだけだろう。誰かを救済したいは結局字面が良いだけだったのかもしれない。そう、きっといつかの未来も私は自分のことも救えないし、あなたのことも救済出来ない。最後に白い部屋で、これを噛みしめる日が来る事を思うととても哀れだ。