救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

嘘を人生の潤滑油にしてたけど機械が故障していた

 いつか乱暴な言葉を使わずに美しい言葉で復讐がしたい。と、Blogを始めた1記事目にそのような事を書いていた気がするし、そしてそれはずっとずっとずっと前から自分が思っていた望みでもある。この間また歳を重ねた私はそれが出来るようになったのか、いやあの頃と同じ事しか言えなく思ってもいない事を実感する事が日常生活で多々ある。だから出来てないんだろう。出来てない出来てない出来てないなう~☆マジウケるんですけど~(笑)っていうように、いつも若者の流行りの言葉で自分を誤魔化し誤魔化し生きる癖が治らない。丁寧に書いていたレポートや絵や何かのプロダクトも計画も最後の仕上げ作業がどうしても出来ない。自分が本気でやってどのぐらいの価値になるのが明確になるのが怖い。怖い怖い。。。結局臆病のままここまで来てしまった。"勇気"なんて生ぬるい意味ではもうダメで"覚悟"が必要になってきた。言葉は意味を持つから、言葉を教わったおかげで振り向かざるを得なくなったものがどれだけあるだろう。"意味"なんて持つのは人間の悪い癖だってどっかの偉い人が言ってたように、暦や年齢で節目を決めるのは正しくないんだろう。この正しい正しくないはあくまでも私自身の中での話でそれ以上の場所にはこの言葉は意味を持たない。台風の音よりも耳鳴りが止まないからそれ以上の音楽を爆音で流してる。もっとディスコを、もっとノイズを、もっともっともっと大きな音を奏でて思考が止まらない頭の中を支配してくれよ。嗚呼