救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

「勝ち負けの問題じゃない」と諭されぬ問題じゃないなら勝たせてほしい

青年期の発達課題であるアイデンティティの形成が大学4年間というモラトリアム期間に出来なかったので未だに他人の言葉に左右され、それどころか顔も名前も知らないインターネット上の人物が発する言葉に一憂する日々を送っています。15歳の私にこんな事を伝えたら、講釈垂らされてしまうに決まっています。10代の頃の自分の方が比較的今よりも頭が良かったと思うこの頃です。過信かもしれませんがね。そう思わざるを得ない理由が多々あります、その1つを挙げるのならば、少しでも過去を美化していないと自分がもっと崩れてしまう気がしてしまうのです。私は今現在21歳です。どうやら今年で22歳になるらしいです。いつから"将来の夢"という項目は"進路"に名前が変わったんだっけ。今じゃ「ん~~~おっきくなったら子供になりたい!」って答えちゃう様な人間なので大人向いてないです。いつだって時間は平等、そんなのは当たり前でその平等な時間の中で不平等がありふれていて私が辿ってきた今までの人生の道のりでも今の私ほど悲観的にならず鬱にもならずこだわりも無くはてなブログの記事にも無頓着でいられる人間なんて何千といると思います。うまくやっていける人間だって多いはずです。もちろん、今病んでるあなた方が歩んできた道や家庭環境・学校選択で私は今より良い方向に行っていた場合もあると思います。しかしそんなのは「if」であり「if」は現実ではなく妄想です。「いいな」と思っても「羨ましい」なんて悩んでる人に向かっては言わない様、心がけています。辛いという感情は事実なのだから。そして人生のポジション交代なんて効かないのだから。そうだ、話は飛躍しますが、椎名林檎の丸の内サディスティックの途中で「 終電で帰るってば 」って歌詞があるじゃないですか。その後に続く言葉が聞き取れなかったんですがあの次、池袋って言っていたんですね。