救済

現実世界の常識という概念が脳裏に張り付かぬよう

2.15

やり尽くしたことなんてひとつだってないのに今日もぐっすり眠った。中学生の時にクラスの合唱コンクールの練習で女子が泣いちゃってみんなで慰めるイベントが毎年開催されてたけど、あぁ目に見える形で泣くとこんなにもこの中の不幸を全て抱えてるみたく一番可哀想かのようにみられるんだ。毎晩のように泣いてた傷だらけの腕の子に対しては気持ち悪いなんて言葉を平気で吐き捨てる奴が泣いてる女子を囲って優しい言葉をかけてる。食べ物が床にベチャって落ちるシーンを繰り返し見せられてるような感覚。一人で絶望にくれる子とみんなの前で泣いちゃう子、どちらにより優しい言葉をかけるべきか。よくわからないけど、それでもきっと後者は5年後、"青春"って単語により過去を美化した大人になれる。青春というフレーズが使えるのはスクールカーストで真ん中以上の立ち位置に属してた人間だけだ。前者は"青春"なんて言葉では慰められないかもしれない。想像力の欠落なのか無関心すぎるのか、こういう浅はかな奴をいつか乱暴な言葉を使わず反論出来る大人になってやる。